手かざしの効用

70代女性
「私は特に宗教的な人間ではありませんけど、宗教によって人が救われることはあり得ると思っています。それは精神的な意味だけではなくて、肉体的な意味、たとえば病気が治るとか、そういうこともあり得ると。
これは私の夫の実体験です。もう40年前のこと、夫は37歳でした。先生、ベーチェット病ってご存知ですか?

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ぶどう膜炎といって白目の部分に炎症が起こって、口の中には米粒大の口内炎がびっしりできていました。あと、静脈の炎症がひどくて、腹部からチリチリと広がってきて。
近所の医科大学を受診すると、内科医が「動脈血をとりましょう」と。すると、採血箇所が腫れて、その腫れが痛みを増しながらどんどん大きくなって、ミミズ腫れになりました。
これはおかしいと思って、同じ日に血管外科を受診すると、そこの先生が「こんなときに動脈を刺激するなんてもってのほかだ。静脈の炎症は広がっても痛いだけだが、動脈の炎症は命取りになる。ベーチェット病は薬害だという指摘もある。あまりそう簡単に病院に頼るのではなく、家で様子を見てはどうか」と。
それで自宅に戻ったのですが、ミミズ腫れは手首のあたりに3㎝ほどで、痛みもひどかった。たまたま近所に、手かざしをして病気を治す宗教団体があって、その信者さんが手首が腫れて苦しむ夫を見た。それで「今すぐ助けてあげます」と。宗教には抵抗がありましたが、冷や汗流して苦しむ夫には、一刻の猶予もないように思えました。それで、その団体の道場に案内されました。
3人の導師が、それぞれ夫の背後、左、右から夫を囲み、数十分手かざしをしました。次第に夫の顔が穏やかになっていき、動脈や静脈の炎症が落ち着いたようでした。ひどい下痢が止まり、夫の肌が赤ちゃんのように鮮やかなピンク色になりました。
この日を境に、夫のベーチェット病は改善していきました。ぶどう膜炎、口内炎、手首のミミズ腫れ。どれも治りました。
夫を治してくれた。その感謝と感激で、私はその宗教に入信しました。でもしばらくして、抜けました。別にその宗教が嫌になったとか、そんなことはありません。信者さんはみなさんいい人でした。ただ、私はもともと宗教に向いてない人間なんです。毎日何かに祈ったり、ある種の戒律のもとで生活したり。そういうのが単純に苦手なんです。脱退したけど、特にペナルティも何もありませんでした。
これは私の経験です。難病にかかった夫が、手かざしのおかげで、確かに治った。嘘偽りのない事実です。ただ、宗教的ではない私は、「手かざしで奇跡が起こった!」と盲信することはないけれども、かといって、「手かざしなんてデタラメだ!」と批判することもありません。
起こったことは、起こったことなんです」

僕はこういう現象は否定しない。というか、当然あると思っている。
し、さらに言うと、現代医学もこの手の現象を認めている。たとえば、薬の治験の際、必ずプラセボ群を設定しますね。あれは何かというと、人間の「思い込みの力」を想定している証拠です。「薬だよ」と言われて飲んだ薬が、たとえ単なる砂糖玉だったとしても、それで一定数、実際に治ってしまう。だから薬の本当の効果(思い込みがなかったとしても発揮される薬効)を調べるためには、どうしてもプラセボ群が必要なんです。

でも、こんなことを上記の女性に言えば、「夫のベーチェット病は”思い込み”で治ったとでも?!」と不愉快な思いをされるだろう。
いや、上記のケースについては、思い込みとかプラセボだとは思わない。僕は、手かざしの効果はリアルだと思っている。手から「何か」が出ている。それは確かだろう。結局のところ、僕は「気」の実在を肯定する者です。

それが何なのかはよく分からないけれども、それは医学の最も原初のかたちだと思う。病める人に対して、その人の回復を心の底から祈ること。不快な症状のある患部に手を当てて「治りますように」と祈る。効かないはずがないんです。
これは、僕がこうちゃん(うちの1歳の子供)に毎日のようにやっていることです。こうちゃんが転んだ。泣く。そこで抱き上げて、打った箇所に手を当てて「痛かったな、大丈夫やで」と声をかける。それでだいたい泣きやむ。子の親になったことがある人なら、誰でも経験があるだろう。
一方、痛みに苦しむ人に「お薬出しておきますねー」と鎮痛剤を処方するのが現代医学なんですね。祈ることの効用は認めない。ただ、作用機序を信じている。つまり、「アラキドン酸からプロスタグランジンが生成するプロセスを阻害すること」が痛みを癒すことだと信じている。
どちらが正しい、正しくない、の話ではない。
ただ、僕は最近後者に辟易しています。「作用機序」という言葉を聞くとうんざりします。でも下手すると患者のほうから「そのサプリの作用機序は?」なんて聞かれたりしてね。いや、もちろん、医者だから、医者であるということは一応科学者(の端くれ)だから、薬でも栄養でもそれが体内でどういう生理作用をするか論文を読んだりするんだけど、論文読みながら、内心「バカなことをやっているなぁ」と思うんですね。
頭でっかちで、理屈やロジックの世界におぼれて、いやいや、そういうのも大事だけど、そういうのじゃなくて、人間はもっと素朴に、もっと直接的に、病気の人を癒すことができるはずじゃなかったっけ?
最近そういうことをよく考えるんですね。
鵜川さんや竹中さんとコラボするのもそういうことだと思います。

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