クリスチャンセンター講演会

画像

きのうはお茶の水クリスチャンセンターで講演会をしてきました。
月曜日と平日ながらお客さんの入りは上々で、300人定員の会場がほぼ満席とのこと。まぁ何といっても参加費無料ですからね(笑)
ざっと「客の4割はクリスチャン、6割はノンクリ」だったと聞いていますが、僕は今回、キリスト教徒のみなさんにメッセージを伝えるつもりでスライドを作ってきました。
というのは、僕はこのコロナ禍の3年間、キリスト教を信仰するみなさんにはガッカリしっぱなしだったからです。いえ、正確にいうと、キリスト教だけではありません。仏教にもガッカリしましたし、ほとんどすべての宗教にガッカリしました。
そもそも宗教と病気(はやり病)には密接な関係があります。病気は、読んで字のごとく、「気が病んでいる」状態のことです。そこに、祈りという「気」の力で以って病める人を癒す。これが医療の最も原初の形でしょうし、また、これこそが宗教の力です。

14世紀、ヨーロッパではペストが猛威を振るいました。

画像

当時の欧州人口の3分の1が死亡し、街のあちこちに死体の山が築き上がりました。

画像

しかしそんな悲惨な状況下で、プロテスタントのみなさんにとっての開祖、ルターはすばらしかった。

画像

ヴィッテンベルグの街にペストが流行したとき、ザクセン侯はルターに退避するよう命令したが、ルターはこれを拒否し、街の病人や教会員のケアに奔走した。
これが宗教家のあるべき姿です。
お上に言われるがままに「ステイホーム」し感染症を恐れてマスクをつけワクチンを打った人たちと、残酷なほどの対照をなしています。祈ることの力を信じることなく、ワクチンに頼ってしまった。残念です。

画像

オンライン礼拝なんて受け入れちゃダメですよ。画面越しに何が伝わるというのです?教会という、現場の空気こそ命でしょうが。

画像

感染対策を名目に儀式の方法を変えるなんて、こんなひどいデタラメはないよ。

画像
画像

ローマ法王という宗教的権威が、コロナワクチンという感染症対策を推奨している。こういうニュースを見て「あのローマ法王さえ打ってるし勧めてる。大変な緊急事態だ。私も打たなきゃ」なんて思うようでは純粋すぎます。「宗教界のトップを動員してまでワクチンキャンペーンを大々的に展開している。あー、くわばらくわばら。恐ろしい。私は絶対に打たないよ」と警戒するのが正しいニュースの読み方です。

画像

情報ソースがテレビしかない人では、仕方がないかもしれない。しかしツイッターなどのSNSで玉石混交、いろんな情報に揉まれている人にとっては、「ローマ法王がワクチン推し」というニュースは、「またやってるわ」ってなもんです。「法王の声明は接種に反対する人を納得させるものではない」というのが論文著者の結論。

仏教もひどかった。
そもそも奈良の大仏さんを思い出してごらんなさい。

画像

「大仏のご加護で流行り病を鎮めよう」これが奈良の大仏が作られた目的だったし、

画像

祇園祭はそもそも疫病払いの祭りなんですね。ところが「コロナのため祇園祭中止」だなんて本末転倒とはこのことです。コロナが流行したときにこそ、祇園祭を決行すべきだった。いつもの倍の熱量で以って。ところが、コロナで中止。こんな形骸化した祭りならもう要らない。本来の意味や目的がすっかり失われて単なるコスプレになっていた。それがコロナ禍で露呈した格好です。こんな無意味な祭りは、もうやめればいい。

画像

お賽銭のネット振り込み(笑)
祈ることをバカにしていませんか?現場に行って、賽銭箱にお金を入れて鈴を鳴らして目をつむって祈る。そういうのに意味があるんだよ。現場性をおろそかにするなんて、宗教の終わりだと思うよ。

画像

オンライン葬式とか、大事な人の葬式であっても、多分泣けない。画面越しに聞こえる坊主のお経に何の意味がある?

画像

宗教家がワクチン勧め始めたら終わりです。
僕はチベット仏教というのは本物だと思っていた。たとえ日本の仏教が腐敗しようとも、チベットには本物の仏教が息づいていると。でもコロナ禍のこういう報道を通じて、チベット仏教も結局同じなのだと、ダライラマも単なる俗物なのだと知りました。

画像

イスラム教は、世界のメジャー宗教のなかで唯一、コロナ禍で大健闘したと思っています。
もちろん、デタラメを強要されたのはキリスト教や仏教と同じです。たとえば、金曜礼拝が禁止されたり、

画像
アッラーの使徒いわく「金曜礼拝をないがしろにし、三度行わずに過ごした人の心を、アッラーは封印し給うだろう」つまり、金曜礼拝をしないことはイスラム教徒にとっての重大な罪。

メッカへの巡礼が禁止されたりしました。

画像
ハッジ(メッカへの巡礼)は、信者の実践義務、五行の一つ。高校球児にとっての甲子園のような憧れの場所。そこに「行ってはいけない」という、あり得ない事態。

これはイスラム教徒にとって、屈辱的とも言える事態です。
彼らにこういうデタラメを強要する背景には、当然「ワクチン接種を推進したい」という当局の思惑があります。「金曜礼拝をしたいならワクチンを打て」「ワクチン接種した者についてはメッカへの巡礼を許可する」そういう”エサ”をちらつかせてイスラム教徒を接種に追い込もうとした。
しかし、当局のこの試みは失敗した。イスラム教を信奉する各国のコロナワクチンの接種数の経過を見てみるといい。いまだに接種を続ける狂気の日本と比較すれば、イスラム各国の冷静沈着ぶりが際立つだろう。

画像
イラク
画像
イラン
画像
サウジアラビア
画像
パレスチナ
画像
マレーシア

金曜礼拝の禁止、メッカへの巡礼禁止など、イスラム教徒はその信心ゆえに苦しむことになったけれども、ワクチン接種という巨大な詐欺から逃れられたのも、その信心ゆえだった。
イスラム教には「ハラル」と「ハラム」という重要な概念がある。ハラル認証という言葉は最近日本でもよく聞かれるようになった。みなさん、「イスラム教徒も食べられる食材」みたいに認識しているかもしれないが、これは食品に限らない。飲み物や医薬品、化粧品、さらには「事」(約束、契約、仕事など)にも適応される概念だ。「こういう状況でこういうことをするのはハラールか(イスラム法として許されるか)」などと用いられる。
かつて、インドネシア味の素事件というのがありました。

画像

味の素がハラル認証を受けたものの、実は製造過程で豚から抽出した酵素を使っていることが後で判明し、大騒動になった。
イスラム教徒にとって豚肉は忌避すべきものというのは有名だろう。しかし、豚肉を食わなければいい、というものではない。「豚から抽出した酵素」さえも彼らにとっては禁忌なんだ。
そして彼らイスラム教徒は、ハラル認証を受けながら実はハラルではなかったという、こういうデタラメに対して激しく怒ります。日本人の感覚からは想像できないほどに激しく。彼ら、それぐらい厳格にイスラムの戒律を守っているんです。

さて、イスラム教徒は今回のコロナワクチンをどう見たか?

画像

コロナワクチンはハラル(イスラム法的にオッケー)かハラム(イスラム法的にアウト)?
これ、彼らにとって大問題なんです。だから、あちこちで大激論が交わされました。

画像

ミドリザルのDNAが入ったものを、ハラルとしてよいかどうか?また、

画像
https://www.youtube.com/watch?v=PhIvTBZzfsI&t=1s

中絶児の細胞が含まれているとすればどうか?

画像

J&J社製コロナワクチンには中絶児細胞(PER.C6)が含まれている。
しかしP社とM社のコロナワクチンには、中絶児の細胞が直接入っているわけではない。ただし、同社製ワクチンがきちんと機能するかどうか、その確認のために中絶児の腎細胞(HEK-293)が使われている。ワクチンの作用確認のための中絶児細胞が必要だとすれば、これはハラルと言えるだろうか?

そういう議論が行われたおかげで、彼らはコロナワクチンの何たるかを深く理解することになった。その結果、彼らは打たなかった。イスラムの教えが彼らを救った格好だ。

画像

だいたいイスラム教徒はワクチン自体に懐疑的なところがある。そもそもワクチン接種という行為自体(注射で液体を体内に注入する行為)がハラルかという問題もあるし、それがハラルだとして、その成分が大問題になる。
上記のように中絶児の細胞が含まれているワクチンはざらにあるし、他にもけったいなものが無数に含まれている。

画像

ハラルかどうか議論するのもいいだろうけど、それよりも何よりも、素朴な直感で「こんなもんが入ってる注射、体にいいわけがない」と分かるよね。

さて、他の宗教はコロナワクチンをどう受け止めたのか?

画像

浄土真宗本願寺派。「危険性と予防効果を考えて打つかどうかを個人で判断する必要があります」
同宗派の代表者の考えではなくて、この回答者個人の考えですね。

画像

大本。「治験が継続されるなか、緊急事態のための特例として承認されたもので、短期の副反応はある程度わかっているが、長期の影響への不安がぬぐえない」「正しい食事と適度な運動、十分な睡眠、土、松、梅干しや梅肉エキスの力で免疫力を高めつつ、神に真剣に祈ることが大切」
これは非の打ちどころのない完璧な回答です。医学的に「完璧」かどうかはともかく、宗教家の答えとしてはこれ以上の回答はないと思う。祈ることの効用を説いている。宗教家としてこれは絶対に外してはいけない要点のはずです。さらに、個人的には、松や梅の薬効に言及したところも好印象です。

画像

幸福の科学。「大川総裁の法力が込められた法話、書籍、楽曲、祈願などにはウイルスを撃退する力がある」「コロナワクチンに期待できない今、信仰心を持つことで免疫力を高め、コロナを乗り越える重要性は増すばかりだ」
これもすばらしい回答。宗教家はこうでなくてはいけない。

なお、大川隆法氏は今年3月に亡くなっている。特に持病はなかった60代男性がこの時期に突然死したとなれば、当然「あれ」の影響を疑うところだけれども、、、

画像

息子の宏洋氏が自身のYouTubeチャンネルで「隆法打ってるよ」と曝露していました(笑)
真偽不明ですが、事実なら残念です。

勘違いして欲しくないけど、僕は大本にも幸福の科学にも一切興味はない(そもそも宗教自体に興味がない)。ただ、これら両宗教のトップは、感染症に対して信仰心を持つことや祈ることの重要性を説いている。僕はここに共感します。これこそが宗教の本来の形です。逆に言うと、祈ることの効用を説かない宗教は宗教の名に値しない。ましてや「ワクチンを打て」などと言っている宗教は完全に終わっています。
コロナのおかげで、いろんなことが見えた3年間でした。

タイトルとURLをコピーしました