タイ旅行

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パタヤにて
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タイに来ている。
バンコク空港に着いた後、タクシーを拾って1時間ほど走り、予約していたホテルに到着した。
そこで、僕らより1週間早くタイ入りしていた鵜川夫妻と合流した。

鵜川さんは仕事でタイに来ているけれども、僕ら一家は旅行目的。鵜川さん、仕事の合間をぬって、タイ観光のガイドをしてくれるというのだから、ありがたいことだ。

僕は20年前に一度タイに来たことがあって、20年ぶりのバンコクなんだけど、一番驚いたのは経済発展ぶりです。高速道路を走っていると、高層ビルの乱立する風景が延々と続く。東京と同じような眺めだ。しかし東京にはない、急速に繁栄する都市の熱気と勢いを感じた。たとえば、あちこちに巨大な看板が目に付く。車や高級家電、美容整形のCMばかりで、こういうぜいたく品の広告が機能しているということは、タイ国民の経済的豊かさを示している。
鵜川さんが言っていた。「たとえばバンコクに日本風の高級寿司屋があって、そこは1人1万バーツぐらい(日本円で5万円近く)かかる。高くて日本人も入れない。でも、この店が常に満席なんだ。タイの新興成金がこういう店に行く」
20年前は、ホテルに着いたらいきなり立ちんぼの女に声かけられたり、野犬があちこちにいたり、町がもっとごみごみしていた記憶がありますが、そういうの、なくなりましたね。
「いや、都市部は確かに小ぎれいになったけど、今でも表通りをひとつ横筋に入ると、そういう景色あるよ」

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野犬などというと狂暴で襲ってきそうなイメージだけど、街中で見かける犬はみんな人なつっこい。タイは敬虔な仏教徒が多くて、ほどこしの精神から野良犬にもエサや水をあげたりするから、犬のほうでも人間に気を許してるんだな。

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あるレストランで食事をしてると、あしもとに猫が寄ってきた。エビの切れ端をあげると、喜んで食べた。
多分、タイでは猫カフェは流行らない(笑)猫も犬もそこらへんにいて、その気になれば触れ合えるから。

鵜川さん、タイ語ができるから、レストランの店員にもタクシーの運転手にもタイ語で意思を伝える。僕も、タイ語が少しでもできれば旅行が楽しくなると思ったから、行きの飛行機内でタイ語の初心者テキストを読んだけど、タイ語はそんな簡単にマスターできるほど甘くなかった。
「自分も日常会話程度はできるけど、難しい会話はできないし、タイ文字も読めない。でもあっちゃんは英語ができるでしょ。都市部は英語が通じるよ」
いや、さっきタクシーの運転手に英語で言ったけど、なかなか伝わらなかった。高齢の人だったせいかな。タイ語なまりの英語で聞き取りにくかった。タイ語ができたほうが絶対いいと思う。拙いながらもタイ語で話したほうがタイ人もうれしいだろうし、なめられないと思う。「こいつ、現地のこと分かってるな」となれば、変にぼったくられることもない。
「タイ語も英語もできなくても、タイで暮らしてる日本人は多いよ。都市部のスーパーに買い物に行くと、タイ語、英語に加えて、日本語の表記があったりする。あきらかに、日本人生活者への配慮だよ。
ほら、道路を見てごらん。車のだいたい7割は日本車。2割はベンツとかBMWとかの高級外車。1割がその他って感じで、日本の存在感は大きいよ」

ある日の夜、僕の妻と鵜川さんの奥さんがマッサージを受けに行くという。「その間、こうちゃんを見てて」とのことで、ホテルの部屋で僕と鵜川さんでこうちゃんの子守りをすることになった。
絵本を読んであげたりミニカーで一緒に遊んだりしているうちに、こうちゃんは力尽きて眠った。そして、鵜川さんとしんみり語り合った。「この3年、いろいろあったね」と。
鵜川さんはこの1年半にわたって、駆け込み寺の代表として、またワクチン遺族会『繋ぐ会』の代表として、奔走してきた。全国で数えきれないほどの講演会やドキュメンタリー『真実を教えて下さい』の上映会を行ったし、遺族から連絡があれば直接会いに行った。その間、仕事ができないし、休日もない。当初は経費も自腹(ドキュメンタリー制作も自費だし交通費も自腹)だったうえに、コロナ禍で店の売り上げは大赤字。それでも、この活動を続けてきたのは、使命感のためです。「今自分がやらないといけない」その思いでこの1年半突っ走ってきた。まるで神様に導かれるように。このあたりの経過については、以前の記事で書いたことがある。


しかし最近、鵜川さんに対する誹謗中傷が目に余るようになってきた。

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「遺族会への寄付金を使い込んでベンツやロレックスを買っている」「募金の詳細を見せろ」などと言われたり、あるいは、あるワクチン遺族から「鵜川は健康被害救済制度で死亡認定された人から謝礼を受け取っている」「自分の知名度のために活動している。遺族を売名手段に使うな」などと言われたり。
これらの主張にはまったく根拠がない。というか、当然事実ではない。
鵜川さんがベンツ乗ってロレックスの腕時計持ってるのは本当だよ。でもそれは自分の稼ぎで買ったものであって、「寄付金を使い込んで買ったものだ」なんて、あんまりひどい言いがかりじゃないか。
当のワクチン遺族から根も葉もない主張をされたことも、鵜川さん、ショックだった。
別に人から尊敬されようとか人気者になろうなんてつもりでこの活動をしているわけじゃない。「ワクチンで大事な人を失った遺族の悲しみを多くの人に伝えたい。そして、ワクチンによる被害を少しでも減らしたい」。表も裏もない。その思いだけだよ。その思いこそが鵜川さんを突き動かす原動力だった。
これまでにもワクチン推進派から多くの誹謗中傷を受けたきたが、常人離れしてメンタルの強い鵜川さんである。気落ちすることなく頑張ってきた。しかしここへ来て、どちらかというとワクチン反対派として一緒に活動してきた人からの批判や、当のワクチン遺族から批判の声があがったことで、さすがの鵜川さんもへこんだ。
「今まで必死に走り続けてきた結果が、これか」
肩の力が抜けるような虚無感。
「何も伝わっていやしない」
徒労感と絶望感。

「そろそろ潮時じゃないですか」と僕は鵜川さんに言った。「もう充分じゃないですか?本業も大切にしてください」
鵜川さんは、今後少しずつこの活動からフェードアウトすると思います。すでに『繋ぐ会』の代表を退きました。現状、繋ぐ会は駆け込み寺の下部組織のような位置づけになっていますが、今後は繋ぐ会を発展的に独立させていく方針です。つまり、繋ぐ会はご遺族により運営される独自の組織になっていきます。「遺族のことは遺族に任せる」。そもそもこれが本来あるべき形です。
こうすると「自分の作った組織を放り投げるのか」などと批判する人が出てきそうです。活動を続けたら「金もうけだろう」で、やめたら「責任放棄だ」。まったく、僕は鵜川さんに同情します。
すでに繋ぐ会の中からも、接種と死亡との因果関係を否定できないとして死亡一時金の支給が認められた人が複数出てきました。この流れは今後も続くと思われます。これは鵜川さんが作った道筋です。大仕事でした。

僕も最近のブログは、コロナ関係の記事がめっきり減りました。以前は毎日のように書いていたのにね。もちろん、コロナ系の記事を「書かない」と決めたわけではありません。書くべきときには(書きたいときには)書きます。
鵜川さんも同じで、コロナ関連の活動から手を引いたわけではありません。駆け込み寺の活動を続けるし、講演会でまた人前に立つこともあるでしょう。鵜川さん「この問題は、当事者(遺族)とサポートのボランティアが同じ方向を向かない限り、解決が遠のいてしまう」と嘆いていた。遺族とサポーター、両者をつなぐ役回りとして、鵜川さんはこれからも活動を続けると思う。
ただ、鵜川さん、ちょっと疲れてしまったんです。みなさん、忘れてるかもしれないけど、鉄のメンタルを持つ鵜川さんだって、人の子ですからね。傷つくときは傷つくんですよ。

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