スナックうつみん

9月2日、診察を午後3時で切り上げて、『スナックうつみん』の収録のため東京行きの飛行機に乗った。
といっても、僕はメインゲストではない。『コロナワクチン被害者駆け込み寺』の代表の鵜川和久さんがメインで、僕はあくまで鵜川さんの付き添いとしての参加だ。
知らない人のために一応言っておくと、『スナックうつみん』とは上野にある飲み屋で、うつ子(うつみん)、メガ子(断食メガネ。極真空手の日本チャンピオン)、タニ子(この人だけ本物の女性)という3人のホステスを相手に、ゲストが酒を飲みながら身の上話をしていく。そういう設定の番組です。
番組冒頭、最初に言われたのは、「あらー、あつ子、久しぶりね。この番組、今までのゲストは全員イチゲンさんだけど、2回目に来店したのはあなたが初めてよ」「うちにも常連さんができたわね」と熱烈に歓迎されました(笑)
そう、僕は何か月か前に一度この番組に出させていただいたことがあるのです。今回はサブとしての出演ですが、2回目ということになります。
しかし、うーちゃん(鵜川さん)のトークはすごかった。人生経験の厚みが半端じゃないから、聞く人を強く引き込む力がある。
最初にみんなで乾杯をする。うーちゃんもコップにビールを注がれて、一緒に飲む。この時点で、僕は驚いてしまった。うーちゃんが酒を飲む。僕にとって、これはあり得ないことなんです。うーちゃんとはこの1年、全国各地を講演会で一緒に回っていて、講演終了後に一緒に打ち上げをすることが何度もあったけれど、うーちゃんが酒を飲むことはまずない。いつもウーロン茶。体質的に飲めないわけではない。でも、ある理由から、飲まない。
僕は思わず言ってしまった。「うーちゃんが飲んでるの見たの、今日で2回目くらいです。驚きました」
すかさず、うつ子が食いついた。「いつもは飲まないの?」
うーちゃん「ええ、こういうスナックで飲んでいる最中、組の抗争に巻き込まれて、仲間が二人打たれて死にました。それ以来、こういう場所で飲めなくなりました」
この答えに一同衝撃が走った。衝撃的すぎて、逆に笑いが起こった
この瞬間、場の雰囲気が決定的になった。うつみんは確信した。「今日のトークは絶対おもしろくなる」と。

そう、実際おもしろかった。『スナックうつみん』のバックナンバーをすべて見たわけではないけど、今日のうーちゃんのトークがおもしろくないというのなら、おもしろいトークなんて他にない。そう断言できるぐらいにおもしろかった。番組終盤、タニ子が「おもしろくないときは、メガ子、寝るんですよ。〇〇先生のときはひどかった。あまりにもつまらなくて、メガ子がずっと寝てるものだから、先生から起こされたりしてね(笑)でも今日はおもしろいので起きています」と。
別に秘密のぶっちゃけ話をしたわけではない。とっくの昔にうーちゃん自身が『うつみんのメールマガジン』で書いていることだし、あちこちの講演会で自分からしゃべっていることでもある。だから、だいたい僕も知っている話だった(でも2割ぐらいは僕も初耳だった)。

ラグビーの名門高校で副キャプテンを務め、日本代表に選ばれた。しかし故障で選手生命を断たれ、大きな挫折を味わった。大学時代、「闇の人々」と交わるようになった。男気を買われ、組長の寵愛を受けた。「やがては時期組長に」と懇望されたほどだった。
しかしある事情から組を抜けたいと思うようになった。しかしそう簡単にはいかない。いざこざがあり、抜けれたものの、数億円の借金を背負うことになった。
その後、某パン工場に勤めることになり、そこで様々な人の優しさに触れ、立ち直っていく。
興味のある方は、『スナックうつみん』のオンエアを見てください(そのうちニコ動で配信されると思います)。
うーちゃんの人生はそのまま小説になると思う。時間に余裕ができれば僕が書かせてもらいたい。そう思うぐらいに、僕はうーちゃんのファンなんです(笑)

以下、『スナックうつみん』では出てこなかった話。
うーちゃん「ある日、刑務所から組員が出所してきた。恐喝と暴行の罪でパクられて刑期を勤め上げた組員が。出所を祝って飲み会を開くわけだけど、一体どういう思惑か、組長が俺をそいつの横に座らせた。その組員(俺より2歳年上だった。仮に「てつ」と呼ぼう)は、俺に対する不信感であふれていた。まぁそれも当然だろう。久しぶりに塀の中からシャバに出てきたら、組長のそばに全然知らない若造がいる。「こいつ一体誰なんだ」と思って苛立つのは分かる。
酒が進んだとき、てつが絡んできた。「おい、お前、親父にどうやって取り入ったんだ?だますつもりだろう?学生の分際でいきがるんじゃねえぞ」そう言いながら、俺の腹にドスを突きつけた。先端をちくちくと実際に皮膚にあてる。「ドスが血を吸いたがっとるわ。俺がその気になったらすぐやぞ」そういう脅しにはもちろん屈さない。俺も若かったから、売られたケンカは買う。「ドスに頼らんと脅されへんのかい!男ならこぶしで殴ってこんかい!」
そんな具合に、てつとは殴り合いのけんかを何度もした。てつはボクシング経験者で、確かに強かった。でもこっちもラグビーで鍛えた体があるから、そう簡単には負けない。ことあるごとに殴り合ううちに、お互いのあいだに不思議な友情が芽生えた。俺の本気がてつに伝わったし、俺にもてつの気持ちが分かった。こぶしを交えた男同士だけが通じ合う感情というものがある。やがて、俺とてつは最高のパートナーになった。てつのシマでもめごとがあると俺が助けに出向いたし、俺がトラブルに巻き込まれたらてつが助けてくれた。
そんなとき、抗争が起こった。いつものスナックで飲んでいるときに、敵対組織の組員がいきなり入ってきて、こちらに銃を向けた。俺たちの存在意義は、こういうときのためにある。すぐさま組長の前に飛び込んで、壁になった。しかしてつは、組長を守るというよりも、俺を守るための壁になった。銃弾がてつの体を打ち抜き、さらに別の銃弾がもうひとりの組員に当たった。店内に悲鳴が響き渡った。
てつともう一人が死んでしまった。この事件は新聞にも載った。

一緒に組を盛り立てていこうと言っていた兄弟が死んだことで、俺は打ちひしがれた。「人間って本当に死ぬのか」と思った。でも俺が滅入ったのは、それだけが理由ではない。
毎晩てつが夢枕に立った。腹から血を流しながら、恨めしそうな顔をして俺を見ている。一回二回じゃない。ずっと、毎晩、そういう夢を見るものだから、俺は抑うつ状態になった。食事がのどを通らず、毎日眠ることが怖くなった。
ある日、真剣に祈った。「てつ、俺だけ助かって済まなかった。俺だって死にたかった。でも仕方がないじゃないか。どうか成仏して欲しい。幸せになって欲しい」そうやって、てつの幸せを本気で祈った。
すると、ぱったり出なくなった。お空の上に上がってくれたんだと思う。
別に、もともと特に信心深いわけではない。ただ、こういうのを含めいろんな経験をしたことで、俺は死後の生は当然あると思っている。

今年の2月、ある縁がきっかけで伊勢神宮にお参りすることになった。2月の朝4時だよ。ものすごく寒かった。でも本殿の前に立ち、拍手して祈ると、急に真正面から風が吹いてきた。冷たい風ではなくて、温かい風が。同時に、頭の中で声が聞こえた。
この瞬間、俺は今後の道筋がクリアに見えたような気がした。どう言えばいいかな、言葉にするのは苦手なんだけど、あえて言うのなら、「人間は、この世に生まれたからには、使命がある」ということが、はっきり分かった。
魂だけでは何もできない。だから、体がある。体があるのはそのためだ。動くんだよ。動いて、見て、聞いて、話して、みんなに訴えるんだ。それが俺の使命なんだ。
そういうことが分かった。この瞬間だよ。俺が『真実を教えてください』のドキュメンタリーを作ろうと思ったのは。この日から、本当に、インタビューの算段をつけて、ワクチン遺族の動画を撮り始めた」

誤解のないように言っておくけれども、うーちゃんは堅気の人間で、指は全部そろっています(笑)というか、組長と杯を交わしたことはないので、正確には一度も”そっち側”の人間になったことはありません(僕はよく知らないのですが、組の人にとって「杯を交わす」というのはそれぐらい重要なことらしいです)
タイの王室マッサージを日本に展開し成功していたうーちゃんは、2020年タイに移住して余生を過ごすことを考えていた。ところがコロナが起こったことで、今後の人生設計を狂わされました。
もし神様というのがいるとすると、こう言っていると思います。「タイに隠居するのはもうちょっと待て。お前にはまだ日本でやることがある」と。

僕はこういう人(明確な使命を持ちそれに突き動かされている人)と一緒に活動できることが幸せです。というか、以前の記事にも書いたけど、僕はコロナ前、2017年頃、パラオに移住することを真剣に考えていました。原発をやめられない日本にうんざりしていたからです(今もうんざりしていますが)。ビザを取り寄せて移住に向けて本気で動いていました。つまり、うーちゃんも僕も、コロナ前に日本を離れる気でいたわけです。諸事情で残念ながらパラオ移住計画は頓挫しましたが、それはひょっとしたら、僕にも日本でやるべきことがあるからかもしれません。

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