「投げて」とボールを持ってくる。
投げると、嬉々として駆け出し、すぐに戻って来て「もう1回投げて」。
また投げる。持って来て「投げて」。これがずっと続く。
ツモの体力は無限大だから、こちらの体力が先に尽きる。
しかし、永遠に「投げて」。
この無限地獄が僕の休日です(笑)
こうちゃんは1歳3か月。何でもできる。
つかんだものを上手に投げる。犬を見て「ワンワン」という。
その場でくるくる回ったり、布団の上に身を放り投げるようにバタンと倒れたりする。
もう「赤ちゃん」じゃない。
こんなふうにして大きくなっていくんだな。
ごきげんの笑顔。かわいい笑顔。いたずらっ子の笑顔。
笑うと世界に花が咲く。
犬の上に馬乗りのこうちゃん。
毛を引っ張られてもじっと耐えるロン。あまり度が過ぎると「ワン!」と一声鳴いてこうちゃんから逃げる。
ときには不機嫌なときもある。たとえば、お昼寝の直前。眠いけれど眠れない。だから、泣いたり怒ったりする。ひどいときには、抱いてる僕の体を噛む。でも、なだめているうちに、やがて眠りに落ちる。
眠るこうちゃんを抱いていると、僕も眠くなる。ほぼ確実にそうなる。
なぜだろう?
こうちゃんから何かが出ている。僕はその何かに反応して眠くなる。
気とか波動と呼ばれるものかもしれない。
親子が似るのは、遺伝のせいというよりも、お互いの「気」のやりとりのせいではないか。
抱っこしておく。
10年後20年後に抱っこすることはできないから、今のうちにたくさん抱っこしておく。
「抱き貯め」というのが可能なら、とりあえず50年分抱っこしておきたい。
こうちゃんは、どこかから来て、やがてどこかへ去って行く。それは僕も同じだけれど。
でも今、こうやって、こうちゃんと時間を分かち合えるのは、奇跡のように素敵なことなんだ。
初めての水族館で、イルカに夢中になっている。
いつか、こんなふうに、イルカではない他の何かに夢中になって、自分の人生を歩み始める日が来るのだろう。
生まれたての頃は、顔のパーツが全部お母さんで、僕には全然似てなかったけど、こうやってみると、ちょっとずつ似てきたかな。
フッフッフッ、だんだん俺色に染まってきたか(笑)
「子供が生まれたら犬を飼いなさい。
子供が赤ん坊のとき、子供のよき守り手となるでしょう。
子供が幼少のとき、子供のよき遊び相手となるでしょう。
子供が少年のとき、子供のよき理解者となるでしょう。
そして子供が青年になったとき、自らの死をもって子供に命の尊さを教えるでしょう」
長男ロンは3歳6か月、次男ツモは1歳11か月、三男こうちゃんは1歳3か月。ゴールデンレトリバーの平均寿命は10~12歳というから、ざっとあと10年後、こうちゃんが11歳のときには、ロンツモはすっかりおじいちゃん犬で、ひょっとしたらこの世にいないかもしれない。
いつか、ロンツモが自らの死で以って、こうちゃんに命の尊さを教える日が来る。そんな日は来て欲しくないけれども、その日は必ず来る。
想像することさえ寂しいことだけど、こうちゃんはどんなふうにロンツモの死を受け止めるだろうか。
今という空間と時間を「保存」できるなら、しておきたい。
RPGみたいに「セーブ」して、今のステータスを保てるならどれほどいいだろう。でも、現実にはそんなことはできない。
家に帰れば、こうちゃんがいて、ロンツモがいる。これ以上の幸せってない。今が一番幸せに違いない。謙虚なのか臆病なのか、この先もっと幸せになるって、考えられないんですね。だから、「時間がこのまま止まればいい」って思ってしまう。
そう、ロン、ツモ、こうちゃんと過ごす今という瞬間は、きっと特別な時間なんだ。