2月11日に東京で内海聡先生主催のパーティーがあり、12日に神奈川の川崎市で講演があり、なんだかんだ東でわちゃわちゃとやってきました。
11日のパーティー、うつみんから直前に「終盤で話を振るので、ちょっと話して下さい」と言われて、喜んで引き受けた。実際、僕の言葉がほぼ締めの言葉になった。
「今の自分が誰のおかげで存在するのかな。そういうことを考えたとき、いろんな答えがあると思う。両親のおかげ。それはそうだろう。僕を生んでくれた。当然感謝です。中学校、高校の先生や同級生。その影響はもちろんある。でももっと、僕の今の思想に誰が根本的に影響を及ぼしているかというと、内海先生ですね。内海先生の影響は無視できません。
僕は昔、精神科で勤務医をしていました。きつかったんです。良心の呵責に耐えられなかった。知ってるんですよ。自分の処方している薬が毒みたいなもんだってことを。「もう10年精神科の薬飲んでます」みたいな患者ならマシですよ。もうグチャグチャというか、”できあがって”いますから。でも、初診の人っているんです。うつ病初発、統合失調症初発、みたいな人。そういう人に抗うつ薬とか抗精神病薬を最初に投与するのが、僕はとても苦しかった。自分が手を下すような気持ちがして、毎回たまらなかった。「これでこの人も精神科の固定客だろうな」みたいな。
僕は医者の見習い期間を鳥取県で過ごしました。だから、今、鳥取に行けないんです。僕が手を下して薬依存にした患者がたくさんいるから、罪の意識で。「こんなもんは医療じゃない。症状を紛らわしただけ」知っているからつらいんです。
そんなとき、ある本屋で内海先生の本を見ました。『精神科は今日もやりたい放題』『医学不要論』一読して、膝を打ちました。その通りだと。精神科医を批判している本なのですが、精神科をしている自分が、胸のすく思いを感じました。「そう、今の医療って間違ってるよな」と。前々から開業したいと思っていましたが、内海先生の情報発信が僕の背中を押してくれました。
コロナ禍に入り、僕の情報発信が注目されるようになり、厚労省に嘆願書を出したり、ワクチン遺族会(つなぐ会)や全国有志医師の会で声明を発表したり、なんやかんやと僕は一定の知名度を得ました。しかし、「今の自分が誰のおかげで存在するだろうか」ということを振り返ったとき、内海先生の存在を抜きに、今の自分は語れないと思う。
内海先生に対して、毀誉褒貶、何かと批判があることは知っている(我がことのように受け止めている)。別に僕は、うつみん信者ではない。言っていることがすべて正しいとは思わない。人間なんだから、ときには間違ったことも言うだろう。それでも、僕は基本的に、うつみんサイドに立ちたい。僕の今があるのは内海先生のおかげだから。僕はいわば内海チルドレンなんです。当然、親方が困ったときには立ち上がりたい。
内海先生は、日本を根本的に変えるには政治から、ということを言っている。うつみん、本当は政治なんて大嫌いだと思うよ。それは分かる。でも、今の日本を見るにつけ、子供を守るためには、日本を守るためには、政治的な行動をせざるを得なかった。そういう意味での、市政の会なんだと思います」
そんなことを語り、その翌日には川崎で講演をしてきました。
会場は100人ほど。距離が近いし、キッズスペースがあって乳幼児が会場でやかましいのもよかった。講演会のあとには座談会があって、客との距離が近い。そういうのもすごくよかった。フロアからの生の声が聞きたいんですよ。
会場から寄せられた質問。「もうすぐコロナが終わるということで、政府もマスクの着用は各人の判断に任せるということを言っていますが、中学生の娘がまったくマスクを外そうとしません。どうすればいいですか」
これは一夕一朝には治らない。だってこの3年間の”訓練”による成果なんだから。お母さん、そういう悩みを言いますけど、ご自身はマスクを外していますか?外に歩くとき、電車の乗るとき、マスク着けずに載っていますか?してるでしょ。子供は親の言うことではなくて、することを見て育ちますよ。「マスク外しなよ」と言ったところで、親がマスクしていれば、そりゃ子供がマスク外すわけがない。
もうね、こういうのって理屈じゃないんです。
マスクの無意味さは結論が出ています。
今後別のパンデミックが起こっても、蒸し返さないでくださいね。「感染症対策にマスクは無意味」これが結論です。科学の最終的な結論です。
でも、個々人が、社会一般がマスクを外すかどうするかというのは、学問的な結論とはまったく別の話です。
県知事が「マスクに意味がないと言っている人の話は聞かない」と公言している。コクランがどうのこうのとか、エビデンスがどうのこうのっていう話ではないんです。とにかく理屈ではなく、知事が「そういう話は聞きません」と言ってるんです。
こういうのを非科学的だと非難しますか?いや、皆さん。非難できた義理じゃありませんよ。正直な話、みなさんも「マスクしないでラッキー」って思ったこと、ないですか?化粧しないで楽だわ、とか。女性だけじゃない。男だってあると思いますよ。ひげそらなくて便利だなとか。
顔パンツを外さないと断言してる女性が言っている。「マスク姿だと2割増しで美人に見える。幻滅されたくない」
これ、この人だけの意見じゃなくて、世間一般の声であり、もっと言うと、論文ではっきり出た”答え”でもある。
「ブスほどマスクを外さない」という大規模スタディの結果があります。
「自分の魅力を自覚している人(=美人、男前)は、マスク着用意識が低い」という傾向が示された。この傾向は特に、好印象を与える必要性が高い状況(就職面接など)で顕著であり、その必要性がない状況(犬の散歩など)では低いことが示された。
いや、やめてくれ。こんなことは、論文で示してくれなくても分かっている。顔に自信がないときって、当然あるだろう。二日酔いで顔がむくんでいるとか、ほっぺたとか口元にニキビができていて、それを隠すためにマスクをありがたいと思ったり。そりゃ当然あるよ。そういう一時的なものではなくて、永続的に自分の顔にルックスに自信を持てない人が、マスクを苦痛どころか、恩恵に感じるのは、心情的に理解できる。
「美人もブスも等しく顔を隠せ」というのがマスク社会なのだから、顔に自信のある人は不服だろうし、ブスは内心ほっとしている。それは当然だろう。
こういう研究が韓国から出たことに、ある種の必然性を感じる。皆さんご存知、韓国は整形大国で、容姿の美醜が出世にモロに影響する。いい悪いではなくて、そういう事実が歴然としてある。そういう風土で、一体マスクがどういう役割を演じるか、好影響か悪影響か、明確に調べてみたいというお国柄が背景にあったんだと思う。
しかし皆さん、マスクが大半の人々の顔を覆う、こんな社会が本当に健全ですか?
明和政子さん。京大でサルの研究をしている人ですが、サルを見て人間のことがよく見えてくるものです。この人が言っています。表情が読めないと、脳と心が育たないと。
なるほど、最初は「感染症対策のためにマスクをしろ」から始まった。しかし、「マスクをもう外してもいいよ」という任意では、もはや子供はマスクを外さない。教育(=洗脳)の成果ですよ。しっかり刷り込まれてしまったんです。これから先、マスクを外せなくなった子供がどういう大人になっていくか。今現在、巨大な人体実験をしているわけです。
別にさ、こんなの言ったらあれだけど、おっさんおばさんはどうでもいいんだよ。いい年した大人がさ、思考停止してマスクをつけてワクチン打ってる。どうでもいいよ。好き勝手すればいい。シミとかしわが気になるおばさんは一生マスクして素顔隠しておけばいい。でも可哀そうなのは子供だよ。社会の構成員全員が顔を隠した世の中で育てばどうなるか。
赤ちゃんのときからマスクしてさ、
学生自ら、「ノーマスク、ノーライフ」なんて歌ってる。奴隷の歌を自ら歌ってるんだから、洗脳の手間が省けたってなもんでしょう。
顔がわからないことで、成長発達に支障をきたす研究は数多くあるよ。顔検出、顔認知。コロナ禍の最初に生まれた子は、見る顔のほとんどがマスク顔だった。表情も何もない。
マスクしているとなると、僕らは顔をつくらない。
そう、コロナ禍ではない、通常のノーマルであれば、僕らは”顔を作る”んです。笑うときにはちゃんと笑うし、不愉快なときには顔をしかめる。でもこのコロナ禍では僕らはその労を省く。マスクが顔の下半分を覆っている。人間、見えない努力はしない。伝わらない情報発信は、わざわざしないものです。すると、笑顔が減少し、社会全体としては、相互の不安感が増す。個人レベルでは、顔を動かさないことで表情筋が劣化し老化が促進される。
でも、多分、そういうロジックの問題じゃないんだよね。「マスクは無意味」とか「マスクは体に悪いよ」という論文を見せて説得に当たったところで、マスクをしている人は絶対にはずさない。
この3年間で、もう変わってしまったんだよね。世界が、国民性が、マナーが、風習が、性格が、気分が。
現状、街を歩いていても99%がマスクしてるんだけどさ、3月13日から皆さん、マスク外すの?僕も内海先生もそうだけど、一貫してマスクは意味ないって言い続けてきたし、実際、ノーマスクを貫いてきた。
仮に3月13日以降、政府の広報に従って人目を伺いつつ徐々にマスクを外す人が増えてくるとすれば、なんというか、子供には申し訳ないけど、それはそれですごい複雑なんだよね。
「政府のオッケーが出たから外す」とかさ、頭死んでるやんって思ってしまう(笑)「いっそお前ら、一生マスクしとけよ。ニキビとかシミ、気になるでしょ。無理に外すことないよ」って。
周囲の空気を見て方針を変える、風見鶏みたいなバカが大量に出現するとすれば、それはそれで見てて痛々しいなと思ってしまう(笑)