コロナ禍が始まって以後、講演に呼ばれる機会が増えて、そのおかげというべきか、人前で話すことには多少慣れてきた。しかし今回は僕の講演会ではない。コロナワクチンで家族を亡くしたご遺族のための記者会見だ。この場で何か話すとなれば、さて、どんなふうに話したらいいものか?
鵜川さんからは「このワクチンによってどんな被害が起こっているか、医師としての見解をお願いします」と言われていた。
体内に注入されたmRNAが細胞内に侵入し、そのタンパク産生機構を利用してスパイクタンパクを産生する。そのスパイクタンパクに対して抗体が産生され、その抗体によってコロナ感染を予防する。そういう作用機序から説き起こして、被害のメカニズム(スパイクタンパク自体の毒性、炎症に起因する血栓傾向、免疫抑制による各種疾患の増加など)を説明し、被害の実態を訴える。話す内容の草稿を書くとき、そういう筋立ても考えた。しかし途中で、何だかバカバカしくなってきたんですね。「ロジックどうこうよりも、まず感情でしょうが」と。
医学的説明どうのこうのよりも前に、まず人間として、遺族の悲しみ、後悔、怒り。ここに触れないと嘘だと思いました。
普段の講演で僕がやっていることは、「どう論理を伝えるか」なんですね。なぜコロナワクチンが体に悪いのか、どのようなメカニズムで体に悪さをするのか。そういうロジックを伝えることにはある程度慣れています。でも、ワクチンで家族を亡くした人の感情を伝えるにはどうすればいいか?泣けばいいのか?叫べばいいのか?演劇ならそういう表現もありだろう。でも記者会見の場なんだから、見苦しく感情をぶちまけてはいけない。怒りは、抑制されたものでなければならない。
今後、コロナワクチンの被害は必ず社会問題化する。増え続ける超過死亡、病院に押し寄せる自己免疫疾患患者の大群。すべてコロナワクチンが原因だった。政府やマスコミはこの現実を直視せざるを得なくなるだろう。実際、すでにその兆候はある。多くの人がこのワクチンのヤバさに気付き始めた。当初医師会の言うことを素直に信じてワクチン接種を推進してきた医者のなかにも、方針転換する人が増えてきた。少しずつだがワクチン被害の報道も見受けられるようになった。
仮に去年、コロナワクチン遺族会を結成していたら、マスコミはこれをろくに報道しなかっただろう。実際、去年厚労省にコロナワクチン接種の中止を求める嘆願書を提出したりコロナワクチン特例承認中止を求める裁判を起こしたが、接種中止嘆願書を報じたのはスポーツ紙がひとつだけ。特例承認中止裁判を報じたのはゼロだった。
しかし今回はテレビ局(CBCテレビ)が報じてくれた。このあたりに風向きの変化を感じる。
https://www.youtube.com/watch?v=xrRprgf7fIw
新聞では地方紙(岩手日報、静岡新聞、京都新聞、沖縄タイムス)が記事にしてくれた。
報道のおかげだろう。ワクチン遺族会に「私の身内もワクチン接種後に亡くなりました」という相談が、現時点で40件以上寄せられている。
もっと多くの人が気付かないといけない。「接種の数日後にたまたま死んだ」のではない。はっきり「接種のせいで死んだんだ」と認識しないといけない。そして、怒りの声をあげないといけない。「愛する家族がワクチンで殺されたのだ」と。
結局世界を変えるのは、人々の声だよ。それしかない。
政府がどうのこうのとかマスコミがどうのこうのと言うけど、全員が気付いて全員が拒否すれば、コロナの茶番が終わるのはもちろん、マイナンバーによる国民一元管理なども頓挫するだろう。
記者会見が終わって東京で一泊して、翌日の朝すぐに神戸に戻り診療を済ませ、その日の夜にまた東京に行って一泊。
東京と神戸の往復、もう嫌だ( ;´Д`)
東京で一泊した翌日の朝、千葉県の館山市に向かった。
同じ関東なんだし東京からすぐかと思いきや、館山はものすごく遠かった。神戸から東京まで新幹線で2時間半。東京から館山まで電車で2時間半。東京から館山は神戸と同じくらい遠いということです。
でも自然の豊かさがすばらしかった。目の前に海が広がるかと思えば背後には木々の生い茂る山が控えていて、都会にうんざりする僕には最高の土地だった。風光明媚なリゾート地として人気なのもよくわかる。
ただ、ワクチン接種率が高いことについては日本の他の地域と同じようなものだった。講演を終えた帰り、会場から館山駅まで送迎してくれた主催者のひとりが車の中でこう言っていた。「ワクチンの危険性に気付いているのはごく一部ですね。ほとんどの人が打ってしまいました。私の家族もそうです。妻も子供も両親も、私以外全員が打ってしまいました。去年娘が流産しました。妊娠中にワクチンを打ったので私はそのせいだと思っていますが、それを言うと妻から烈火のごとく怒られます。『娘がショックを受けるからそんなことは絶対に言うな!』と。
やっぱり田舎なんです。人の目とか世間体が何より重要です。地域が変わるためには、こうやってよそから先生方をお呼びして、まったく違う風を吹き入れてもらうしかありません。しかし打つ人はすでに3回も4回も打ってしまいましたが。
先生の講演、武蔵野でも聞きましたよ。武蔵野と同じ内容をするのかと思っていました。全然それでもよかったんです。おもしろい講演でしたから。悟空の『3回目のワクチンだー!』ってまた聞けるかなって(笑)でも違う内容でしたね」
そう、武蔵野では1200人の前で2時間話したが、館山では50人の前で45分話した。しかし何人が相手であろうが関係ない。自分はいつも全力投球です。以前のスライドを使いまわすことも当然ありますが、できるだけ最新の情報を盛り込むようにしています。
会場で僕のブログをフォローしているという人から、こんなことを言われた。「先生、なぜ子供を産んだのですか?これから日本がどうなるか、まさか先生なら知らないことはないでしょう?坂道を転げ落ちるような衰退があるだけ。ワクチンで多くの人が死亡し、あるいは健康を失い、経済力の低下はとどまるところを知らず、貧困は深刻化し、食料品の値上げに国民は悲鳴をあげ、ベーシックインカムが導入されて国民の政府依存はますます強固になり、つまり、政府による国民管理がますます強固になる。一体この国のどこに希望を見出せばいいのですか?1ミリたりとも見出せやしない。そう、この国には未来なんてないんです。でも先生は自分の子供を、未来につなぐ自身のコピーを、作った。なぜですか?なぜそんな残酷なことをするんですか?僕が先生の子供なら先生を恨みますよ」
なかなか本質を突いていると思った。じっくり腰を据えて考えたい質問だったが、あいにく移動のすきまに話しかけれらたためその暇はない。「できちゃったもんは仕方ないやねぇ」と冗談交じりに返すか、「ごめん、今急いでるから」とはぐらかすか。
僕の対応はこのいずれでもなかった。短く、簡潔に答えた。「希望はあるよ!」
もう少し付け足して言うと、「希望を失ったらその時点で終わり」ってことです。
いや、もう、本当にこれ。
バスケの試合だけじゃない。人生すべてそうだよね。
この国がヤバい理由を挙げだしたら100個で済まないだろう。学者が「日本は崩壊する」と断言しても不思議じゃない。
それでも、だからと言って、ニヒルに陥ってはいけない。
「SNSとかで情報を仕入れいると、何だか疲れるんです。もう希望なんて持てないんだなって思って」みたいな人は多いけど、こういう人はSNSに向いてないからやめたほうがいいよ。あるいは少なくとも1週間ぐらい見るのやめましょう。
SNSで情報を仕入れ、なおかつ、その情報の毒にやられちゃいけない。
講演会などで各界のさまざまな著名人と会う機会が多くなりました。これは僕にとって、コロナがもたらした数少ないプラス面だと言えます。僕はそういう人に会うたびに、「うちの子を抱っこしてくれませんか?」とお願いすることにしている。相撲取りに抱っこしてもらった赤ちゃんは元気に育つっていうジンクスがあるけど、僕の中ではそれに近い感じです。
だいたいね、ワクチン接種事業という国の施策を止めようとするなんて、普通の人なら考えもしない。普通の人が考えもしないことを本気で実行しようという酔狂な人が、僕の周りにはたくさんいるんです(笑)そしてそういう人は、決まって波動が高い。「波動」なんて言うとうさんくさい目で見られるけど、あるんだから仕方ない。
相撲取りに抱っこしてもらってその元気にあやかるように、いろんな人に抱っこしてもらってその波動にあやかろうとしてるわけです。
有名な人、無名な人。若い人、高齢の人。さまざまな才能、さまざまな思想。
この人たちが持ってるエネルギーや経験値、ポテンシャルって、莫大な量だと思うんです。
こうちゃんを抱っこすると、必ず全員笑顔になります。これは必ずです。何を賭けてもいい。赤ちゃんを抱きながら不機嫌な表情を保つって、人間にはできないんです。
赤ちゃんがあなたを笑顔にする何かを与えたんです。そしてあなたも、お返しにこうちゃんに何かをくれます。それはあなた自身さえ気付いていない何かです。
僕は赤ちゃんの笑顔からはじまるこの循環に希望を感じます。未来が暗いわけがないと思います。
同時に、絶対に暗い未来にしてはいけないとも思います。
絶望してる暇があれば、動いて声をあげましょうよ。