僕はほとんど知らなかったんだけど、ツイッターの機能で『スペース』というのがあるんですね。これは、いわば、ラジオ番組を主催する機能です。主催者がフォロワーに「いついつにスペースをやりますからぜひ聞いてくださいね」という具合に募集をかける。それで興味のある人が、その時間帯に指定の『スペース』にアクセスすると、リアルタイムの生トークが聞けるという。
近年テレビの衰退が著しいけれど、ラジオはそれに輪をかけてひどい。しかし、ツイッターを使って”ラジオ”をやろうというのだから、こんな酔狂なことはない。時代の流れに逆行している。Trilliana華さんとルパン小僧さんから出演依頼を受けたとき、「こんなん誰が聞くんやろう?」と思った。そして、逆におもしろいと思った。「どうせ誰も聞かないだろうから、ある程度好き放題話せるだろう。受けよう」と。数百人、数千人規模でリスナーがいると思っていたら、断っていたと思う。「こんなにたくさんいたら、アンチもさぞたくさんいるに違いない」と僕は考える。「アンチ相手に熱弁をふるっても仕方ない」僕は基本マイナス思考なんです(笑)
さて、出演当日。なんと、リアルタイムで4千人が聞いた。
実はこの前日、武蔵野で講演会(池田議員と奥野さんとの講演)があって、その講演の参加者が1200人だった。数日かけてスライドを作って2時間しゃべり通した講演が、1200人を相手にしたもの。これに比べれば、『スペース』は”消化試合”だと思っていた(←失礼)。しかし、1200人をはるかに上回る4000人が聞いたというのだから、驚かずにはいられない。しかし、驚くのは早かった。
この『スペース』、録音で聞けるとのことで、再生回数はなんと27万回。信じれれない。「ルパン小僧さんが27万回『再生』ボタンをクリックした」という説のほうがまだしもリアリティがあると思った(笑)
いや、でも本当なんだと思う。本当に、多くの人が我々(僕だけではなくて、華さん、ルパンさん、アルツハッカーさんなど)の声を聞こうとしたんだと思う。
それだけ多くの人が”気付いている”とすると、希望を持ってもいいような気がする。27万人というのは、十分に世論を動かす力がある。よく知らんけど、選挙で27万票もとればだいたい当選するんじゃない?(笑)
華さんの投稿に番組を聞いた感想が数多くリプライされてて、それを華さんが僕に送ってくれた。おおむね好意的な反応だったけれども、「関西弁丸出しだったのが意外でした」というのが散見された。
そう、これはけっこう言われるんですね。多分、僕のブログから入った人が多いからでしょうね。文字表現だと、僕がどういう”アクセント”で文章を書いてるか、見えないですからね(笑)
僕は医学部は長野で、研修医時代を鳥取で過ごしました。長野も鳥取もみんなきれいな標準語を話します。方言がないわけではないけど、特に若い人はそんなに話さない印象です。
初めて長野に来たときは、僕も張り切って、標準語を話そうとしたことがあるんですね。周りに合わせたほうがいいかな、って。でも同級生が嫌な顔をする。「あつしは関西弁でいいんじゃないの?」って言われたり。多分、「関西人はどこでも関西弁」っていうイメージがあって、それを裏切られるのが気持ち悪かったんだと思う。僕としても、「素のままでいいよ」って言ってもらってるわけだから、ありがたく関西弁で通させてもらった。長野でも、鳥取でも。
でも、みなさん、ご存知ですか?関西弁なんていう言葉は、本当はないんですよ。それは当然そうでしょう。九州に住んでる人は、自分の言葉を「九州弁」と言われたらどう思いますか?「いや、ちょっと待ってくれ。それはアバウトすぎる。博多と大分と鹿児島の方言が同じわけがない」とか思いますよね。東北の人はどうでしょう。「東北弁」って言われたとき、「青森と山形と福島では言葉が違う。ひとくくりにしてくれるな」とか思うかもしれません。というかそういう意味でいうと、標準語っていうカテゴリーもつかみどころのない表現だよね。東京方言ということなら、江戸弁とか地域差が当然ある。最近亡くなったけど浅香光代の話してるのを聞いてると、標準語って感じがしない。東京にも方言がちゃんとあるんだなと思う。
いわゆる「関西弁」は「吉本弁」だ、というのが言語学者の指摘するところです。
https://cir.nii.ac.jp/crid/1521980704920132480
昭和50年代漫才ブームが起こって、テレビで関西弁が堂々と流れた。その後、明石家さんま、ダウンタウンなどが人気を博し、彼らお笑い芸人の話す言葉『関西弁』もテレビで一定の市民権を得たように見える。でも結局のところ、あれは”こてこて”の大阪弁を薄めたんですね。「儲かりまっか?」「ぼちぼちでんな」みたいなコテコテでは、全国区で受け入れられない。言葉に敏感なお笑い芸人たちは、意識してか知らずか、関西方言の強みを生かしつつ、かつ、アクを上手に取り除いて、広く受け入れる形に洗練させていったんですね。たとえば明石家さんまが、トーク番組で「へー!そうなんだ!」と大げさな相槌を打つ。この場合の「そうなんだ」は、関西弁でもなければ標準語でもない、国籍不明の言葉で、要するに、「吉本弁」なんですね。
僕は明石の出身で、たとえば「台風来とうから電車止まっとう」とか言うわけです。こういう表現は吉本弁ではあり得ない。大阪の人はこんな言葉は使わない。大阪風に言うなら「台風来てるから電車止まってる」と、字面だけみると標準語と変わらないよね。
「何々しとう」というのは九州弁の雰囲気があるよね。
僕は、以前の記事でも書いたことがあるけど、レペゼンのDJ社長が好きで、動画をちょくちょく見てる。
https://clnakamura.com/blog/6275/
最近はふぉいの切り抜き動画とかよく見てる。ふぉいは男前で女によくモテて、モテ指南(『こういう受け答えをすると女は喜ぶ』)とかSEX指南とかを語ってる。この人は僕よりも年下だし、僕にも一応人並みの女性経験とかあるんだけど、まるで中学生が大学生のお兄さんの英雄譚をわくわくして聞くような気持ちで、ふぉいの話を聞いています(笑)
https://www.youtube.com/watch?v=aAYcNT2jzvA
たとえばこの動画を見て思うんだけど、これは本物の九州方言ではないと思うんですね。テレビから聞こえるお笑い芸人の言葉が関西方言ではなくて吉本弁だというのと同じ意味で。
九州の雰囲気を上手に残しつつ、かつ、コテコテの九州弁を取り除いた言葉を話してる。そういう感じがします。かつて、明石家さんまやダウンタウンがやったのと同じことを、レペゼンがやっているような気がするんですね。
どういう形であれ、僕は地方の言葉が方言として残ることを好意的に思っています。長野でも鳥取でも、「今のおじいちゃんおばあちゃんがいなくなったら言葉が絶滅しちゃうのかな」と思いながら高齢者の診察をしていました。
ふるさとの言葉が自分のアイデンティティになるって、最高やんね。若者が上手に方言を取り込むっていう、ある種の革命を起こさないと、方言は本当に絶滅すると思う。よそ者の僕が、長野や鳥取の心配をしても仕方がないけれど。