これからの予定

来週はイベントが多い。
まず、4月24日の日曜日、コロナワクチン遺族のドキュメンタリー『真実を教えて下さい』の上映会が京都で行われる。鵜川さん主催で、泉大津市の南出市長も講演される。
興味のある方はぜひご参加ください。

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4月26日火曜日は、東京地裁でコロナワクチンの特例承認取消訴訟の第3回口頭弁論が行われる。木原弁護士、南出弁護士とともに、法廷に行ってきます。

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前回、第2回のときには、「ノーマスク集団が大挙 現場一時騒然」とか書かれました。
偏向報道ってこういうふうにするんだなー」と感心しました(笑)
今回はどのように報道するだろう?徐々にではあるが、マスコミもコロナワクチンの被害者のことを報じ始めている。こういう空気の変化を踏まえて、僕らのこの裁判についても、もう少し好意的に報道するだろうか。あるいは相変わらずの批判調か、あるいは無視か。
夕方には、鵜川さんと一緒に、マレさんの番組『HEAVENESE style』に出演する予定です。
よい成果を報告できるといいのですが。

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4月29日金曜日は、和歌山で上映会を行います。9時25分から和歌山ビッグ愛で、14時からは紀の川市で行います。

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紀の川市といえば、ワクチン接種を受けた小6女児が接種から4日後に亡くなったという、まさにその市である。
一時期SNS界隈で騒ぎになったが、その後すぐに、近くの町で水管橋が崩落する事件が起きた。「ふーん、話題ってこういうふうにそらすんだなー」と感心しました(笑)
亡くなった女児の祖父は地元でホテルを経営している。今回、僕と鵜川さんを招致した主催者氏は、このホテルにも上映会案内のチラシを置いたとのこと。ぜひ来て欲しい。そして、愛する身内を亡くしたのはご自身だけではないということを、ぜひお伝えしたい

こんな具合に、イベントが立て続けにあり、実に多忙である。しかし、こんな多忙は、できれば最後にしたいと思っている。
実際、5月以降は、講演の予定を極力いれないようにしている。
なぜなら、僕には講演よりも大事なことができたから。それは、仕事より大事だし、ひょっとしたら、僕の命よりも大事かもしれない。

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今日、子供が生まれた。
3600gの男児。名前はまだない。
どういう名前にしようかと悩んでいたが、ある人が「無理して決めなくてもいい。生まれてからでかまわない。赤ちゃんが教えてくれるだろう」という。なるほど、そういうものかと思って、変に焦るのをやめた。
そして今日、赤ちゃんを自分の腕に抱いた。
しかし、当然というか、名前のインスピレーションが降りてくることはありませんでした(笑)

会ってみて分かったのは、この子は間違いなく僕を認識していた
夜10時、タクシーで産院に駆け付けた。院長が僕を赤ちゃんのところに案内した。僕は初めて我が子を見た。透明な保育器に横たわる我が子を。
「かわいい。抱っこさせてください」
そう言うと、その声を聞いてか、赤ちゃんが目を開けた。こいつにとっては、きっと聞き慣れた声に違いない。妻のおなかの中にいるときから、しょっちゅう声をかけていたから。
「赤ちゃんの神経系において、視覚の形成は遅いが聴覚は早い」というのが医学の教えるところである。だから、この子の目はまだ見えていないはずだが、その目を開けて、僕を見ようとした。僕にはそれが分かった。

産後の妻がいる別室に案内された。そこに赤ちゃんが来た。
助産師に抱かれながら、ギャーギャー泣いている。助産師は僕の腕に赤ちゃんを移そうとした。赤ちゃんを抱いた経験のない僕は当惑した。「こんなに壊れやすいものを抱いて大丈夫だろうか?火が付いたように、さらに大きな声で泣くのではないか?
助産師から赤ちゃんを譲り受けた。「すまんな、俺が抱っこなんかして」と赤ちゃんに謝った。すると、泣いていた赤ちゃんがピタリと泣きやんだ。
声で僕を認識した。そして、安心し、泣くのをやめた。
そういうのが、僕には分かった。この子は、確かに、僕の声を認識している。
家に帰れば、ロンやツモをすぐに認識するだろう。「ワンワン」いうあのやかましい吠え声を、おなかの中でさんざん聞いていたに違いないから(笑)
僕がこの子に会いたかったのと同じ強さで、この子も僕に会いたかった。理屈じゃなくて、そういうのって本当に分かるんだ。

男の中にも母性があるのかもしれない。ずっとこの子を抱いていたいと思った。できれば家に連れて帰りたい。
院長に冗談半分に言ってみた。「僕は今日、この子と一緒に寝ます。連れて帰ります」
気持ちとしては本気だった。院長、笑って首を横に振った。「お父さん、子煩悩やねぇ」

ひとり、帰りのタクシーのなかでも、赤ちゃんを抱いたときに感じた胸の高揚が残っていた。なるほど確かに、愛情というのは、こんなふうに胸に宿るのだな
そして、寂しかった。なぜ一緒に帰れないのだろう。僕は家にひとり。妻は病院。赤ちゃんは新生児室。なぜ、家族がばらばらでないといけないのだろう。

診察中、赤ちゃんが生まれたという連絡を受けた。一日の診察を終えて、僕のほうから産院に電話した。「今から赤ちゃんを見に行ってもいいですか?」
できません。当院のコロナ感染症対策です。面会は認められません
ああ、これが今の社会か。職場と家の往復だけの僕は、コロナで狂った社会とあまり摩擦を起こすことなく、これまで過ごしてきた。しかし、今、自分にとって一番大事な時に、コロナ脳と戦うことを余儀なくされた。
事務員相手に吠えても仕方ない。「院長に変わってください」
何を言われても引き下がるつもりはない。絶対に会いに行く。脳からアドレナリンがちりちり分泌されるのを感じた。
院長は、会話の端々にこちらの決意の固さを感じたようだ。「分かりました。ただしガラス越しの面会ですよ」
ふざけるな。人を病原菌扱いするな。叫びたい衝動を抑えて、冷静にやりとりした。
結局、手洗い消毒、ガウン着用については妥協した。その上で、赤ちゃんを抱く権利を勝ち得た。

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赤ちゃんを僕に渡しながら、助産師が言う。「普通ならこんなこと認めていないんですからね」特別のはからいであることをやたらと強調する。

赤ちゃんを腕に抱けたことは、途方もない喜びだった。
しかし同時に、この2年間で社会が染まった根深い狂気に触れて、うんざりした。
一体、何だってこんな狂気の時代に、僕を父親に選んで、こいつは生まれてきたのだろう。

熱くなった胸が、僕に教えてくれたものがある。
この子のためになら、何だってできるそうな気がした。
成人のコロナワクチン接種には声をあげなかったが「子供への接種には反対」と立ち上がる人が多い。子供を持つ人に多い印象だ。僕は今、子供を持った今になってようやく、彼らの気持ちが分かる。
まず、かわいい我が子がいる。そして、この子がデタラメを食らわされる社会にしちゃいけない。親はそういうふうに思うんだな。
僕はこれまで、かなり積極的に活動してきたつもりだけど、どこか漫然として、他人事の感覚があった。しかしようやく、“当事者”になったようだ。

この子のために、コロナで狂った社会を変えないといけない。
人間は、自分のためよりも、誰かのためにこそ強くなれるみたいだ。

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