般若心経を暗唱できるけど、だからといって、特に宗教的な人間ではない。母の死がきっかけで覚えたけど、「教養として覚えておいた方がかっこいいかな」という下心があったし、「その気になったら念仏唱えられるって、小ネタになるな」、という思いもあった。いきなり「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時…」とか唱え始めたら、ちょっとおもしろくない?笑
土曜日、春の彼岸で母の菩提が眠る須磨寺へ行った。そのとき、お焚き上げを初めて見た。狭いお堂に太鼓の音が鳴り響き、その太鼓にあわせて僧侶が般若心経を読み上げる。願をかけた護摩木が、燃え盛る炎にくべられ、火が一層燃え上がる。このすべての行いを、正面に鎮座する不動明王がにらみつけている。
太鼓の響きと燃え上がる炎と般若心経と。
僕はその雰囲気に飲まれた。僧侶が経を唱えながらトランス状態になることがあるというけど、なるほど、と思う。般若心経は太鼓のリズムとこんなに調和するのかと感心した。「般若心経は千年前のロックだ」という意見があってこれまでピンと来なかったけど、この雰囲気の中に身を置いてみると、確かに、ロックバンドのコンサートのようだ。熱狂的なファンが失神するように、熱心な仏教徒が法悦を感じるのも分かる気がした。
30分ほどのお焚き上げが終わると、僧がこちらを振り返り、一席法話をうつ。ある僧侶の発心についての話だったけど、これを一人称語りにアレンジして、ここに紹介しよう。
「俺はね、坊主になんてなりたくなかったんだよ。実家は大きな寺で、檀家が千人以上いる。そういう家に生まれてたものだから、仕方なく坊主になったんだ。
大学を出て修行道場へ行き、僧籍を得た。そして長野県にある実家に帰り、寺を継いだ。でも、何の志もない。ぜーんぶ、仕方なく、だよ。
千件も檀家がいれば、仏事には事欠かない。葬式や法事の依頼がひっきりなしに来る。そして、そういうのを毎日淡々とこなす。苦痛でたまらなかった。
当時の俺は、何に苦痛を感じているのか、自分でもよくわからなかった。とにかく、読経しながらいつも「一体俺は何をしているんだろう」と思っていた。そんな自分が心底嫌だった。嫌すぎて、葬式の依頼の電話があるたびに、腹が痛くなった。
今思えば、俺は逃げていたんだ。葬式や法事で関わる遺族の苦しみと向かい合うことを避けていた。僧侶なのに、死と向かい合ってないんだよ?これほど失礼な話はないだろう。
頭を丸めて袈裟を着て身なりだけはきちんとしている。経も堂々と読み上げる。はたから見ていれば、きちんと仕事をこなしているように見えただろうが、内実は決してそうではなかった。変な話だけど、死者に対して「俺みたいなのが経を読んで、申し訳ない」そんな思いさえあったよ。
発心してなかったんだな。仏の道に身を捧げる覚悟なんて、まったくできちゃいなかった。
そんなとき、妙心寺派管長の山田無文老師に声をかけられた。「ビアク島に戦没者の慰霊に行くから一緒に来ないか」と。
ビアク島を知っているか?太平洋戦争の激戦地のひとつ。本土防衛のため、日本軍はここで3か月間におよぶ徹底抗戦を続けたが、結局陥落した。正確な統計はないが、この島だけで1万人以上が死んだと言われている。米軍との戦闘による死亡なら、軍人としてまだしも本望だろうが、「生きて捕虜の辱めを受けず」と集団自決によって死んだ人も多かった。
そのとき俺が行ったのは、ビアク島の、そういう集団自決が行われた洞窟だった。そこに遺族の人たちと一緒に行き、塔婆を立て、読経し供養した。
すでに終戦から35年が経過していたが、洞窟の内部は当時のままだった。うす暗い洞窟の中で、足に、ある感触を覚えた。見ると、亡くなった兵士の遺骨だった。やがて、人々の泣き叫ぶ声が洞窟全体に響き渡った。洞窟のあちこちで、夫と生き別れた妻たちが35年ぶりの再会を果たした。しかし白骨化したその姿があまりにも凄惨だった。遺族の叫び声を背中で聞きながら、俺はショックで声が震え、ついに経を読むことができなくなった。そこで無文老師の喝が入った。「ばかもん!読経を止めるな!」震えながら、涙を流しながら、俺は必死に経を唱え続けた。
このときだよ。このとき、初めて、俺は発心した。
発心というのは、発菩提心、つまり、仏道に邁進する心を起こすことをいう。恥ずかしい話だが、それまでの俺は、経こそ読むが、まったく形だけの経だった。しかし、ビアク島の洞窟で涙を流しながら経を唱えたときに、遺族の悲しみに寄り添うということの意味が、心を込めて経を読むということの意味が、ようやく見えた気がした。「この道を行こう」と俺は思った。人々の悲しみ、苦しみを見て見ぬふりをするのではなく、しっかりと向き合おう。そして、本物の僧侶になろう。
そう、ビアク島の経験が、俺を発心に導いてくれたんだ」
聞いて、なるほど、と思った。仏教徒ではない僕にも、この「発心」の感覚が、なんとなく分かるような気がした。
勤務医として、精神科病棟の悲惨な現状を目の当たりにしてきた。長期間の抗精神病薬の服用で半ば廃人になった人たちが、社会から隔離されている現状を知った。無数の、いわば「生ける屍」を見た経験が、僕のなかに発心を起こさせた。「こんな精神科医療、間違っている」と。
こうして独立開業に至ったが、いまだ道半ば。煩悩丸出しで、悟りなんか全然開けてません笑
この日のお焚き上げで般若心経を唱え、法話をしたのは小池陽人副住職。
しゃべりのうまさ(or法話のすばらしさ) が次第に評判となり、今や毎月20日21日には、この人の法話を聞くために多くの人が寺に殺到するようになった。
やっている活動がことごとく斬新で、目を引く。日本初の僧侶ユーチューバーとなって法話の動画配信を行い、ついには、若手僧侶が法話の腕を競うイベント「H1法話グランプリ」を主催するに至った。
H1グランプリは、宗派を問わず全国各地から出場者を募り、制限時間は10分。法話の優劣ではなく。審査員や来場者が「もう一度会いたい」と思った僧侶に投票し、グランプリを選ぶ、という企画。
多くの人にとって、法話といえば「葬式のときに家に来た坊さんが、お経を読み終わった後に話していくちょっといい話」、程度の認識だろう。しかし法話にも、おもしろい法話、つまらない法話があるはずである。おもしろい漫才もあればつまらない漫才もあるように。ここにフォーカスして、法話のたくみさを競わせるというのは、発想として新しい。
そもそも、落語の発祥は坊主の法話だという話がある。かつて、寺は人々の集いの場で、僧侶は人々に知恵を伝えるありがたい存在だった。そう、僧侶は本来、しゃべりのプロなのよ。
須磨寺が注目されているのは間違いなく小池副住職のおかげで、多くの人が仏教に関心を持つのはいいことなんだろうけど、個人的には、昔みたいに静かな寺でお参りしたいという思いがある。なかなか悩ましいところだね。