零戦

長野県の大学で医師免許を取得した縁で、ごく短期間、長野県の僻地医療に従事したことがある。90代の超高齢の男性を往診したとき、同行したナースが僕にささやいた。「この人、戦艦大和の生き残りなんですよ」「え!マジで!?」ナースがせっかく気を利かせて小声で言ってくれたのに、僕は驚きのあまり、大声で叫んでしまった(笑)
戦艦大和について、以前にブログで書いたことがある。
https://clnakamura.com/blog/2525/
記録によると、大和の乗組員は3332人で、そのうち生還者は276人。目の前のご老人は、その生存者のうちの一人ということになる。

そう、僕が医者になりたての頃は、まだ時代の生き証人がかろうじて生きていた。今はどうだろう?皆さん、ワクチンを打ってお亡くなり、ということになったのではないだろうか。大日本帝国の元軍人が毒ワクチンの接種によってこの世を去るとすれば、何て悲しい最期だろう。彼らは、こんな日本にしないために、命をかけて戦ったのに
ただ、当の本人が亡くなったとしても、そのご遺族が生きている。患者として当院を訪れたそんなご遺族から、思わぬ話を聞かせていただいた。
「先生、『トップガン2』見ましたか?見たほうがいいですよ。私はすごく楽しめました。というのは、私、戦闘機も含め飛行機が好きなんです。『趣味:飛行機』です(笑)私自身はパイロットでも何でもありませんが。いつもこういうYouTube動画見てます。
https://www.youtube.com/watch?v=PqyC3_IBlbk&t=649s
予科練って知っていますか?パイロットの養成機関のようなところで、私の祖父はそこの出身です。特攻に参加した人も多くて、かなりの人数が戦死しましたが、予科練出身であることは祖父の密かな誇りでした。なんといっても、祖父は零戦のパイロットでしたから。
先生、そもそも零戦って知っていますか?」

昭和12年堀越二郎は海軍上層部から新しい戦闘機を設計するよう命じられ、頭を悩ませていた。堀越は参謀会議の場で「格闘性能、航続力、速度のうちで優先すべきものをひとつ挙げてください」と言った。これに対して、源田実(航空隊分隊長)は「どれも基準を満たしてくれないと困るが、あえて挙げるなら格闘性能、そのために他の若干の犠牲は仕方ない」とした。一方、柴田武雄(海軍大尉)は「攻撃機隊掩護のため航続力と敵を逃さない速力の二つを重視し、格闘性能は搭乗員の腕で補う」とした。この両者が対立したが、両論とも正論であったため、堀越は両者の期待に沿わねばならなかった。

堀越が取り組んだのは、徹底した軽量化である。ちょうど前年(昭和11年)住友工業が超々ジュラルミン(ESD)を開発したが、堀越はこのアルミ合金に注目した。これを採用することで、機体を30kg軽量化することに成功した。
「戦闘機に限らず飛行機全般に言えることですが、飛行機はまず、空高くに上昇しないと始まりません。当時の米軍の戦闘機は、高度6000mまで上昇するのに12分かかりました。ところが零戦はわずか7分で同じ高度に到達しました。また、米軍の戦闘機の航続距離がせいぜい1000㎞のところ、零戦は3300㎞飛びました。北海道から沖縄まで、余裕で飛べます
空戦能力もずば抜けていました。ドッグファイト(戦闘機同士が互いの後方につこうとしてぐるぐる回りながら戦うこと)になれば、零戦に勝てる戦闘機は存在しませんでした。
自動車もろくに作れなかった日本が、世界最強の戦闘機を作ってしまったわけです。そう、零戦は当時の航空機の世界水準のはるか先を行く“バケモノ”でした」

太平洋戦争の初期、零戦は米軍相手に輝かしい戦果をあげ、日本軍の快進撃を支える原動力となった。
零戦にやられっぱなしの米軍だったが、転機が訪れた。アリューシャン作戦の際、米軍は無人島にほとんど無傷で不時着した零戦を手に入れた。零戦の性能を徹底的に分析した米軍のメカニックは、その構造上の工夫に度肝を抜かれた。超々ジュラルミンの強度と軽さ、逆ガル形式の主翼、空気抵抗を巧みに利用する沈頭鋲、最大速度450㎞/hを出す大馬力のエンジン。零戦には当時の航空技術の粋が結集していた。世界に比類ない旋回性能、上昇性能、航続性能。天才堀越二郎の才能が遺憾なく発揮された最高傑作、それが零戦だった
米軍のメカニックは零戦の優秀性を認めると同時に、しかし、その欠点をも見抜いた。「高速時の横転性能や急降下性能が甘い」「装甲が貧弱。燃料タンクにもガラスにも防弾がないし、自動消火装置がついていない」「スピードとスタミナだけは大したものだが、殴られれば一発で吹き飛ぶような戦闘機」であることを米軍はつかんだ。
ここから米軍戦闘機の巻き返しが始まった。これまで、零戦と戦っても勝ち目のなかったF4Fワイルドキャット戦闘機だが、零戦に対して急降下して接近し、銃撃する。さらに優位速度を維持したまま旋回、離脱、再度急上昇して優位高度を回復する一撃離脱戦法を編み出すなどして、零戦に対して次第に優位に立つようになった。日本軍はミッドウェーで主力4空母を失い、さらにガダルカナルも陥落した。やがてサイパンも落ち、マリアナ沖海戦で空母、航空機の大半を失った。この時点で、戦争の勝ち目は完全に失われた。

「先生、この本読んだことありますか?『永遠のゼロ』。傑作です。三浦春馬主演の映画もいいですが、本のほうがオススメです。これ、よかったら差し上げます」
診察のあと、ページを繰ってちらほらと読み始めた。内容に引き込まれて、止まらなくなった。講演会のスライド作成などto doリストが渋滞しているのに、僕を引き込んで離さない。実にけしからん本でした(笑)この本のなかから、興味をひいた記述を紹介しよう。

【連合軍パイロットによる零戦の証言】
「ゼロファイターは本当に恐ろしかった。信じられないほど素早く、その動きはこちらが予測できないものだった。俺たちは戦うたびに劣等感を抱くようになり、やがて上官から『ゼロとは空戦をしてはならない』という命令さえ下った。
俺たちは日本の新型戦闘機が『ゼロ』というコードネームが付けられてているのを知った。何と気味悪いネーミングだと思ったよ。『ゼロ』なんて何もないという意味じゃないか。しかもその戦闘機は信じられないムーブで俺たちをマジックにかける。これが東洋の神秘かと思ったよ。俺たちは、ゼロに乗っている奴は人間ではないと半ば本気で信じていた。悪魔か、さもなければ戦うマシーンだと」(p151)

宮部小隊長がある時、零戦の翼を触りながら言った言葉が忘れられません。
「俺はこの飛行機を作った人を恨みたい」
私は驚きました。なぜなら零戦こそ世界最高の戦闘機と思っていたからです。
「お言葉を返すようですが、零戦は優れた戦闘機と思います。航続距離ひとつ見ても、」
私の言葉を遮るように小隊長は言いました。
「確かにすごい航続距離だ。千八百浬も飛べる単座戦闘機なんて考えられない。八時間も飛んでいられるというのはすごいことだと思う」
「それは大きな能力だと思いますが」
「俺もそう思っていた。広い太平洋で、どこまでもいつまでも飛び続けることができる零戦は素晴らしい。俺自身、空母に乗っているときには、まさに千里を走る名馬に乗っているような心強さを感じていた。しかし」
そこで宮部小隊長はちらと周囲を見ました。誰もいないのを確かめてから、言いました。
今、その類い稀なる能力が俺たちを苦しめている。五百六十浬を飛んで、そこで戦い、また五百六十浬を飛んで帰る。こんな恐ろしい作戦が立てられるのも、零戦にそれほどの能力があるからだ
確かに、八時間も飛べる飛行機は素晴らしいものだろう。しかしそこにはそれを操る搭乗員のことが考えられていない。八時間もの間、搭乗員は一時も油断はできない。我々は民間航空の操縦士ではない。いつ敵が襲い掛かって来るかも分からない戦場で八時間の飛行は体力の限界を超えている。自分たちは機械じゃない。生身の人間だ。八時間も飛べる飛行機を作った人は、この飛行機に人間が乗ることを一体想定していたんだろうか」(p241)

おもしろいですね。外国の軍隊に恐れられていたゼロファイターも、ちゃんと“人間”だった。堀越二郎の生んだ最高傑作は、実は現場のパイロットたちを苦しめていたわけです。

「トム・クルーズ主演のトップガン2、確かにおもしろいですが、ちょっと複雑な気持ちもあるんです。米軍機F14トムキャットが飛ぶ様子に胸をときめかせたり、ミグ28との空戦に興奮したり。楽しんでいながらも、どこの国の敗戦国民なんだと思います。我ながら。米軍機でときめいちゃ、ご先祖様に顔向けできないだろう、っていう。
先生、日本の航空機の技術はすごかったんですよ。いや、『すごかった』と過去形で語りたくないな。いまでもその技術は継承されていると思いたい。国産の飛行機が堂々と作れるようになれば、ボーイングもエアバスも市場から撤退せざるをえなくなるんじゃないかな」

【参考】
『風立ちぬ』(宮崎駿)
『永遠のゼロ』(百田尚樹)

タイトルとURLをコピーしました