2020年を終えて

今日で今年が終わる。
2020年。ひどい年だった。
世界がコロナでかき乱された。新たに出現した感染症に対して1年以内にワクチンが完成してその接種が始まるなんて、去年の今頃は想像もできなかった。外を歩くときにはマスク着用が常識になり、距離をとれとか営業自粛しろとか、こんな世の中になるなんて、想像もしていなかった。
来年はコロナが終息して明るい年になるよ、と言いたいところだけど、

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ビルゲイツは2022年までこの茶番を続けたいんだってさ。なかなか解放してくれないね。
三宮や元町の商店街を歩いていても、コロナで廃業した店舗が目立つ。神戸で一番活気のある商店街でさえこんな具合なんだよ。全国にはもっとひどい悪影響を受けた地域もあるだろう。こういう営業自粛だ何だのデタラメがあと1年2年も続けば、どうなるか?経済の崩壊はますます加速して、中産階級が没落するだろう(まぁそれが狙いなんだろうけど)。
きのうだったか、マツコがバブル時代を振り返るテレビ番組やってるのをたまたま見たけど、何だか見ててせつなくなったな。「一億総中流」の時代。みんなこのまま豊かになっていくんだと信じてた。日本がこんな元気な時代があったんだなって。
大昔のことじゃない。まだたったの30年前のこと。バブルの生き証人はたくさんいる。というか、すでに僕自身も生まれていて、好景気に浮かれる享楽的な時代の雰囲気を子供ながらに感じていた。でも子供だったからなぁ。大人としてこの時代を楽しみたかった。バブルの何たるかを一番肌で感じて楽しんだのは、今50代から60代くらいの人じゃないかな。

世間がコロナ禍に苦しんだこの2020年だけど、実は、僕にとっては飛躍の一年だった。
・健康雑誌『安心』の連載が始まった。
・ロン(犬)を飼い始めた(世話が大変だけど元気をくれる)。
・半年ほどの間ツイッターをした(社会勉強になった)。
・コロナに背中を押される形でオンライン診療を開始した(ありがたいことに、伸びている)。

一番大きいのは『安心』さんに声をかけてもらったことかな。正直毎月原稿を書くのは大変です。診察に追われるなかで「今月は何を書こうか」とネタを探す。同時に、できるだけ毎日ブログも書き続けたい。ロンの遊び相手もしてあげないと。ああ、時間がない。やばい。どうしよう。そんな具合に、締め切りが近付くたびに不安になる。『安心』に寄稿してる筆者が『不安』になってるってどうなのよ(笑)
しかし『安心』の編集者さんは、自分で言うのも何だけど、よくぞ僕に目を付けたと思う。お目が高い。「仕事は忙しい人に頼め」という。「逆でしょ。暇な人に仕事を割り振ればいいじゃない」と思うだろうけど、違う。暇な人は、ずっと暇なんだ。何もしない。仕事を頼んでもろくに動かない。忙しい人に仕事を頼むと、時間を捻出して何とかその仕事をこなそうとする。結果、依頼した仕事が早く完了する。この逆説は真理だよ。
ありがたいことに、この一年はすごく忙しかった。診察が終わればへとへとに疲れてるけど、そこからブログを書こうとする。我ながらようやるわ、と思う。
僕のブログを昔から熱心に読む患者から、こんなことを言われた。「先生の2018年頃のブログは神がかっていました。西洋医学に対する懐疑と栄養療法への信念、投薬治療に終始する精神科医療への苛立ち、そういう熱量がすごかった。でも今は、症例報告的な文章が多くないですか?先生、もっといい文章が書けると思うんですけど」
うーむ、辛辣。いや、的確というべきか。
開業して間もない2018年頃、クリニックは閑古鳥だった。思いだけはある。薬で患者の精神を荒廃させるだけの医療に疲れ果てていた。「栄養で改善できるのに」というもどかしさで、勤務医を一日も早くやめたかった。そういう思いに急き立てられるように開業したので、思いだけはたっぷりある。でも、患者は来ない。
おかげでブログに存分に時間を割くことができました(笑)。2018年頃書いたブログには、そういう感情が乗っかってるんだろうなぁ。
「風邪っぽいので薬ください」とか、”どこの病院でもいいけどたまたまここに来た”みたいな患者に、栄養の重要性をこんこんと説いたりしてた。さぞウザかっただろうなと思う(笑)まったく、人間は暇だとろくなことをしないね。

とにかく、今年が終わる。次はどんな一年になるだろう。なるようにしかならないのだから、悲観的になるよりは楽観的になって、希望を持ちたい。
医者としては、僕を頼って来てくれた目の前の患者に全力を尽くす。それだけだ。そのスタンスは2018年の頃から変わってないはずなんだけど、多忙でブレないように気をつけねば。

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