『自閉症は津軽弁を話さない』
https://news.yahoo.co.jp/articles/0960757c17deda48910c476937ed4ceb5afde8a5
おもしろい記事だった。表題もいい。『アルキメデスは手を汚さない』って推理小説があったけど、まずタイトルだけでぐっと「つかむ」ものがある。でもそれだけじゃなくて内容もしっかり伴ってた。妻の「自閉症児は方言を話さないような気がする」という素朴な直感に、夫は当初、学者として反発を覚える。しかし実際に調べていくにつれ、出てくるデータは妻の直感の正当性を裏付けるものばかり。直感から始まって、データで検証して、さらに考察して。学問ってこんなふうに深まっていくんだなという、見事な事例になっている。
このテーマを突き詰めるには、「そもそも方言とは何なのか」の理解が欠かせない。
「人間は心理的距離に応じて言葉を使い分ける。方言主流社会で方言を使うのは、心理的距離の近さを表す。健常者(定型発達者)は、方言と標準語(共通語)を柔軟に使い分ける。一方、自閉症者が方言を使わない(使えない)のは、心理的距離の理解が難しいからではないか」
なるほどと思う。
いつだったか、秘密のケンミンショーで、東北出身者がこんなことを言っていた。「自分は中学高校と柔道部に所属していたが、下級生は先輩に対して標準語の敬語で話さないといけない空気があった。でも3年生になると方言を話してもいい。別にルールというわけではないが、そういう雰囲気があった」
この発言に他の東北出身者は一様にうなずいていた。「ああ、わかる」と。
方言は心理的距離の近さを表す。だから、後輩が先輩に向かって使う言葉としては不向きということだろう。
では、方言のない地域ではどうなるのか?たとえば東京で生まれ育った自閉症者には、何か特徴的な話し方があるだろうか?
丁寧語(敬語)を話す者がいるという。これは、「方言と共通語の関係性は、タメ語(対等な言葉遣い)と丁寧語の関係性と相応をなす」ことの実証になっている。方言のない地方に育つ自閉症者が、他人を少しでも”遠ざける”ために編み出した必死の手段、それが丁寧語ということだろう。
仕事柄自閉症の子供を見ることは多い。なるほど確かに、親御さんはコテコテの関西弁なのに、子供が標準語を話すケースは何度かあった。そのときは全然気にも留めなかった。でも考えてみればこれって大ごとだよね。関西で生まれ育ちながら、親も関西弁ネイティブなのに、家でも学校でも関西弁を話さない。不思議に思うべきだったな。
逆に、自閉症の治療(栄養療法的なアプローチなど)をして、社交性が身についたり、他人との距離感がつかめるようになってくると、標準語一辺倒の言葉遣いに関西弁が混じりだした、というのが治療効果の目安に使えるかもしれない。
この記事を読んで、英語圏の自閉症児はどうなんだろう、と思った。当然英語にも方言がある。アメリカ英語とイギリス英語ではずいぶん違うし、アメリカ英語でも西海岸と南部では全然違う。英語ネイティブの自閉症児も方言を避けるのだろうか?興味深いテーマだと思いませんか?そこでグーグルで「autism dialect」で検索してみると、トップで出てきたのは、なんと、この記事を書いた松本先生の英語論文だった。
『自閉症児およびアスペルガー症候群児による方言使用』
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tokkyou/49/3/49_237/_article
「自閉症者は津軽弁を話さない」ことが論証されている。この論文は、世界中の学者を刺激したようで、海外からも同様の研究が出ている。たとえばこんな論文。
『自閉症に関連した外来アクセント症候群。新たな症候群だろうか?』
https://adc.bmj.com/content/98/Suppl_1/A36.1
イギリスの研究。生まれも育ちもイギリスなのに、バリバリのアメリカンアクセントで話す症例が3つ報告されている。東北の自閉症児が、行ったこともない東京の言葉を使うように、イギリスの自閉症児も、行ったことのないアメリカ英語を話す。その共通性がおもしろい。自閉症という疾患に普遍的に見られる傾向のようだ。
僕は関西出身だけど、大学は長野で、仕事で鳥取や島根にいたことがある。長野も鳥取も標準語と方言が同居してる地域だったけど、そんななかで、言葉は基本的に関西弁で通させてもらった。標準語と方言の間にずけずけと第3の言葉が割って入る格好で、地元の人にはどう映ってたのかな。長野に住んでいた頃、塾講のバイトをしたことがあって、そのとき生徒から「テレビとおんなじだ!」って言われたことがある(笑)教授とか上級医に対しても敬語口調の関西弁で通してた。「~しはるんですか」みたいな関西弁の敬語って新鮮に響くみたいで、意外に悪い印象持たれなかったよ(笑)
でも僕もときどき標準語を話す。これは人から指摘されて気付いたんだけど、患者にちょっと込み入った医学的な事柄(あるビタミンの作用機序とか)を説明するとき、僕の口調は標準語っぽくなる。逆に、共感を示すときには自然と関西弁が出る。しかもタメ語口調で。ロジックを使うときと感情的になるときで、きっと使う脳の部位が違うんだろうね。
僕の中にも自閉症的なところがあって、それは多分、僕だけではなくて誰の中にもあって、結局自閉症と定型発達の違いはグラジュアルだと思う。