同い年の有名人というのは、何となく意識する。同じ時代の空気を吸って、同じ流行や文化のなかで育ったんだなというだけで、ちょっとしたシンパシーを抱く。育った場所が近所なら、その有名人が小学校や中学校の同級生でもあり得たんだよなぁ。
竹内結子さん。別に特にファンでも何でもなかったけど、僕と同い年だということだけは意識してた。自殺のニュースには、驚いた。信じられないって思った。
子供を二人生んで、産後うつだったんじゃないかってうわさがあるけど、どうかな。仮に産後うつだったとして、通院歴があったのか、抗うつ薬などの投薬治療を受けていたのか。
ただ、一般論として、産後うつで自殺まで行く人はほとんどいない(栄養状態がむちゃくちゃだったり精神科的投薬を受けていれば別だけど)。基本的に、母親というのは強いんだ。
去年結婚し今年の1月に出産して「この子のために頑張っていこう」と母性が高まっていた。未来への希望に胸がわくわくしていた。そんなときに、自分の人生(母としての人生、妻としての人生、女優としての人生)を、自ら断ち切る選択をするとは、ちょっと考えられない。
そう、彼女は女優だった。偏見でものをいうけど、女優というのはプライドのかたまりでしょう?自分の出演した映画やドラマなどの映像作品が、自分が死んでこの世からいなくなった後も、ずっと残っていく。いつも美しくあろうとするのが女優の性で、それはおそらく、老いて臨終の間際になっても変わらないんじゃないかな。
クローゼットのなかで首をつって死んだというんだけど、全然美しくない。これは、女優の死に方ではない。
首吊り自殺の遺体がきれいなものではない、というのは割と広く知られてる知識じゃないかな?首を吊ることによって呼吸困難となり、脳への酸素供給が停止し、数分で死に至る。死ねば全身の筋肉がゆるむ。膀胱括約筋や肛門括約筋が弛緩して、膀胱や腸の内容物は重力のままに垂れ流しになる。
女優とは常に美しくあろうとする人種である。死後に作品を残し、そのなかに自分の美しさを残そうとするのが女優だ。竹内さんが、たとえ何らかの理由で人生に絶望し自殺を決意したとしても、こういう醜い死に方は選ばないのではないか?
三浦春馬さんのときもそうだったけど、芸能人はなぜ揃いも揃って「クローゼットの中で首吊り自殺」を選ぶのだろうか?
本当に自殺だったのだろうか?
竹内さんは今日の午前2時頃にクローゼットの中で発見されたという。不審死だから検死が要る。自殺とのことだけど、本当に他殺の可能性はないのか?検死の結論を出すのが拙速ではなかったか?僕はこのニュースを昼の2時頃に知ったけど、マスコミ発表が早すぎない?仮に発表するとしても、「女優の竹内結子さんが死亡しているのが発見されました。死因は他殺、自殺の両方の可能性があるとして、現在警察で調査中です」みたいな報道でよかったんじゃないの?なぜ自殺と決まっているのか?
他殺だったとすれば、誰に殺されたのか?これは偏見だけど、竹内さんは誰かから恨まれるような人ではないと思う。怨恨による殺人ではないなら、何なのか?
今回の彼女の死亡によって一番ショックを受けているのは、ご家族を除けば、彼女の所属事務所のスターダストだろう。CMにたくさん出演していて事務所の稼ぎ頭だったわけだから、経済的なダメージはかなり大きいと思う。事務所が何か別の大きな組織から恨みをかっていた可能性は?竹内さんは見せしめの意味合いで殺されたのでは?
以上は僕の妄想である。こういう妄想についふけってしまうほど、僕は今、何だか滅入っている。松坂大輔はぱっとしないし、藤川球児は引退するし、広末涼子はずいぶんダーティーなイメージがついてしまった。それでも、同い年の彼らはみんな、生きている。生きている限り、また輝くチャンスが必ずめぐってくる。
でも死んじゃったら終わり。
本当に、死んじゃうんだもんなぁ。